全女・遂に解散…か?
それが僕の率直な感想であります。
再三、崩壊の危機を何と乗り切ってきた全日本女子プロレスも、
いよいよ焼きが回った様です。
本日の格闘コラムは、「全女・遂に解散か…?」でお送りします。
プロレスを見始めて20年。
女子プロレスは約10年。
川崎に住み始めてから見ているのですが、
見始めた頃と現在の状況の違いに愕然としています。
初めて女子プロレス「全女」の興行を見たのは、
東京ドームでバイトをしていた時でした。(1994/11/20)
ドームで女子プロレス。
今じゃ考えられませんけど、
団体対抗戦が盛り上がった当時は、
そりゃぁもう勢いがありましたからねー。
全女・JWP・LLPW・GAEA・FMW女子の各団体から選抜された
選手による「V☆TOP WOMAN日本選手権トーナメント」を主軸に、
あの山本美憂と浜口京子がリングで
アマレスマッチをやったり(直接対決じゃないよ。階級が全然違う)、
みちのくプロレスの友情参戦があったりと、内容盛りだくさん。
この日のラインナップは、全22試合(!)。
メインの日本選手権トーナメント優勝決定戦
「北斗晶 vs アジャ・コング」が、
北斗のノーザンライト・ボム3連発で幕を閉じた時、
既に日付をまたいでいた(確か0:20位)という、とんでもない興行。
僕が案内した北海道からご来場の方、帰れたんでしょうか…?
ハッキリ言って、この日が女子プロレスのピークでした。
もちろんビューティー・ペアやクラッシュ・ギャルズが
社会現象になったのと比べると、
「対抗戦時代」はプロレス業界内の出来事ではあったけど‥。
しかし、少なくとも今まで新日や全日しか見なかった人達を、
女子プロレスの世界に誘う(いざなう)パワーに溢れていました。
FMWのリングにアジャ・コングetc.が参戦して、
全女にファンを引っ張ってきてましたからね。
僕はこの日のドーム興行をキッカケに、
月一回の全女中継(by CX)と後楽園ホール通いにドップリつかる事に。
当時の全女の興行に行けば、
今では他団体所属&フリーとなっている選手たちが勢揃い。
昭和62・63・平成元年組の分厚い選手層による
クオリティの高い試合が魅力でありました。
毎月後楽園に観に行くのが楽しくてねー。
"京子ちゃん、がんばってー"オバちゃんが懐かしいよ。
この頃の状況が続いていれば、崩壊なんてあり得なかったハズ。
でも、気が付かないうちに崩壊へと進んでいたんです。
要は対抗戦が一段落し、次の話題が無かったんだよね。
北斗 vs 神取戦も済んでしまったし。
GAEAの新人達のインパクトとか、
女子プロ業界に明るい材料はあったものの、
東京ドーム直後と比べれば、客足も伸びなくなってきました。
…そして1997年。
全女は不渡りを出して「倒産」─。
普通の会社ならここでお終いになるんでしょうが、
松永会長が『選手が資本だから』の一言で債権者を納得させ、
興行を継続していきました。
大半の有力選手が離脱し、
残ったのは「堀田・豊田・伊藤・渡辺・前川」と
後に"キッスの世界"となる「中西・高橋・脇沢・納見」&藤井。
ちなみに納見を除く"キスせか"のメンバー+藤井は96年デビュー。
デビューして僅か1年で会社が潰れてしまった訳だ。
今思えば、この時に新会社を立ち上げて、
松永家と切り離せば良かったんだろうけど…。
倒産した97年から今年まで、何とか続けてきたものの、
・フジTV"格闘女神アテナ"放送打ち切り
・CSでの放送打ち切り
・興行の売り上げは滞納した税金として持っていかれる
・会場費を払えない
・所属選手はノーギャラ!(他団体&フリーには払っていたらしい)
─以上の理由で、遂に全女崩壊と相成りました。
プロレスというジャンル自体が下火になっている中、
「女子プロレス」という存在が生き延びるのは難しいようです。
女子プロレスの優良企業、黒字経営のGAEA JAPANでさえ、
解散するような状況ですからね。
フリーで活動していた井上貴子が、LLPW所属になるご時世‥。
一部のマニア相手に興行を打っても、後楽園ホールですら満員にならないし。
ホント、希望が無いですよ。
とりあえず選手はたくさんいるんだから、
2大勢力にまとめてですね、
WWEのロー/スマックダウン的にやってみてはどうでしょう?
普段は別々に興行を行い、年に何回か対抗戦的なものをやるとか。
もうインディーで細々やってても変わりませんよ!
「30~40代のベテランが名前で客を呼び、
会場に来てみたら若い選手が印象に残る。」
至極当然の事を、普通にやらなかったらダメでしょう。
男子で現在一番成功しているNOAHの手法を参考にすべき。
それしか"女子プロ再浮上"の道は無し!
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